ながたこいらのブログです。のんきに更新していくよ。


by ながたこいら
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音楽とスポーツと才能と合理主義。

JAPANのZZ放談(ビークルのヒダカさんのページ)がビークル散開と共に最終回だったのですが、
ヒダカさんは、
「日本もアメリカみたいな合理主義を取り入れるべきだ」
っておっしゃっていて、

ああ、なるほど、
ビークルはもう音楽を続けるモチベーションを失ったんだな、って思いました。

同じJAPANのpeople in the boxの波多野君の記事と読み比べて、
おいらはピンと来たワケです。

波多野君は、
「音楽には正論は無い。正論や結果を求めるスポーツみたいな音楽は自分たちには出来ない。
アートっていうのが『答えがあるのかな?』という迷いを抱えながら表現するたぐいのものなので、
結果や合理性で判断されるスポーツみたいなものと同じ解釈で捉えられるのには違和感を感じる」
みたいなこと(要約はbyおいら)を言っていて、

あ、音楽って世界一ムダな(いい意味で)ものなんだ、って安心しました。

おいらはミスチルとかの影響も受けていて、
「音楽的に成功すること」=「CDの売り上げを増やすこと」
という図式っていうか呪縛に囚われていたのかもしれません。

波多野君のこの発言が、
おいらを鎖のように縛っていた「呪縛」から解放してくれた、とも思えます。
「売れる音楽だけがいいんだ」っていう呪縛から。

むろん、ミスチルの櫻井さんなんかは、
「商業的成功」と「音楽の芸術的な高さ」を両立した、
世界初の偉人であり、天才なのですが、
「音楽は偉大なムダである」
っていう定義づけをやってのけた、
波多野君も天才だと思います。

芸術の世界に、
正解はないのです。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチですら、
その表現の中に正解を求めなかったから、
天才だったのです。

ヒダカさんは、
自分の表現の中に正解を求めようとしたため、
結局は行き詰まってしまったのかもしれません。

芸術は、合理性では、
割り切れません。
マイルス・デイビスやカート・コバーンが、
自分の才能とアメリカの合理主義とのジレンマに、
生涯苦しんだ事実が、その証拠かもしれません。
マイルスは、あの当時のアメリカの白人に、
全く認められなかったし、
カートに至っては、純粋すぎて、アメリカの合理主義に苦しんで、
自ら命を絶ってしまったから。

天才って、
大変です。


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by keisuke-n1109 | 2010-10-05 18:28 | 音楽